日本における〝自然保護活動発祥の地〟と言われる尾瀬。今では環境保全の現場で常識となった、ごみの持ち帰り運動発祥の地でもあり、自然保護の象徴でもある尾瀬国立公園の一部が、東京電力ホールディングス株式会社の社有地であると聞いて意外だと思われる方も多いだろう。
尾瀬と東京電力との意外な関係
平成19年(2007)、日光国立公園から分離する形で誕生した尾瀬国立公園。その約4割、特別保護地区の約7割の土地を東京電力は所有している。同社と尾瀬の関係は古く、その歴史は大正時代にまで遡る。当時日本では、国策として水力発電が進められ、水の豊富だった尾瀬周辺にも発電施設建設の計画が進んでいた。大正5年(1916)には統合前の電力会社の一つ、利根発電が当時私有地だった群馬県側の土地を取得。大正11年(1922)には別の電力会社の関東水電が水利権を取得する。これらの電力会社はその後統合を重ね、昭和26年(1951)に現在の東京電力に統合。東京電力は設立とともに尾瀬の土地と水利権をそのまま引き継ぐことになった。
当初より電源開発計画のあった尾瀬だが、一方では尾瀬の自然は守るべきだという声も強かった。開発か保全か。政府内でも意見は二分されていたこともあり、開発計画は宙に浮いたままの状態が続いた。
「昭和20年代後半になると、大ヒットした歌が、尾瀬の自然の美しさを歌った『夏の思い出』だったそうです」と尾瀬の歴史について同社リニューアブルパワー・カンパニー・水利・尾瀬グループの桒原泰穂さんが説明してくれた。「昭和30年代後半になると、美しい尾瀬の姿を一目見ようと観光客が押し寄せ、当時はマナーもなかったために木道などの整備のされていなかった尾瀬の自然は瞬く間に荒廃していったそうです」。
資料として見せてくれた写真の中には、土壌が露出した光景や、湿原を自由気ままに歩くハイカーの姿など、現在の尾瀬の姿からはとても想像できない光景が写し出されていた。
日に日に悪化していく自然を目の当たりにした同社では、自然保護を望む周囲の声などを受け、昭和30年代後半から会社として、一度失われた自然を取り戻すために木道の整備や湿原の回復作業に取り組む。「CSR」という言葉が定着していなかった頃から『企業の社会的責任』として尾瀬の自然保護活動に取り組んでいくことを決めたのだ。
自然保護の答えとして辿り着いたFSC
尾瀬の象徴ともいえる木道だが、現在、尾瀬国立公園には総延長約60kmの木道が整備されている。このうちの三分の一にあたる約20kmを東京電力の負担で整備しており、管理会社の尾瀬林業株式会社(現、東京パワーテクノロジー株式会社)と協働で半世紀以上に渡り自然保護活動を続けてきた。当初は自然環境保護という大きなくくりの中で行われていた取り組みは、その後、世界の自然環境問題の大きなテーマでもある「生物多様性」と「CO2吸収」というキーワードを柱に取り組まれるようになる。
一般に、尾瀬というと湿原のある尾瀬ヶ原、百名山でもある至仏山・燧ヶ岳が注目されがちだが、周囲には尾瀬の豊富な水資源を支える森林が広がる。そんな森林のひとつである尾瀬戸倉山林もまた、東京電力の所有地だ。もともとは、水力発電で利用する水を確保するための水源涵養林として長い間保全されてきた尾瀬戸倉山林だったが、同社では尾瀬の一部であることを再認識。生物多様性とCO2吸収にも寄与する森林に育てていくという方針を立てて管理することを決める。
「ただし、一企業としての方針だけではどうしても当事者の目線でしか管理ができません。そこで当社では、第三者の意見やアドバイスを取り入れることにより、これまで以上の森林管理ができるのではないかと考え、最終的にFSC認証に辿り着きました」と話す桒原さん。森林認証制度の選択に関してはどの森林認証にするかという議論があったそうだが、尾瀬戸倉山林では材木を生産している森がごく一部であること、また当時、京都議定書に基づく「森林のCO2吸収量」や「生物多様性」というキーワードに重要性が増してきたこともあり、世界に通用する認証という点が決め手となってFSC認証が選ばれた。
世界のFSC認証林の多くが、木材生産という経済活動を切り口としてFSC認証を取得しているのに対し、同社ではより質の高い環境保全のための基準としてFSC認証に取り組んでいる点が非常に興味深い。
尾瀬に広がる天然林と人工林
尾瀬戸倉山林を中心とした同社が所有する森林の多くはブナ、ミズナラ、クロベからなる天然林で、人工林の多くは拡大造林として植えられたカラマツ林となっている。しかし、カラマツ林での木材生産はほとんど行われず、森林管理は切捨て間伐がメインだった。
「FSC認証を取得するまでは、CSR活動である自然保護にウエイトを置いた森林管理でした。また、登山道を利用するお客さまの安全確保のために倒伏する可能性のある木を伐るという、危険木の調査に特化した管理も続けていました」と話す東京パワーテクノロジー株式会社環境保全グループマネージャーの中馬慎二さん。FSCに取り組む以前は切り捨て間伐が中心で、自分たちが管理する山の間伐材を使おうという意識はなかったそうだが、その理由について「自分たちの木を正当に評価していなかった」とこれまでの施行を振り返る。
「尾瀬周辺のカラマツはクセがあって使いづらいという思い込みがありました。ところが、実験的に尾瀬の木道に使ってみたところ思っていたよりも質が良かった。この結果を受けて今後は地産地消をコンセプトに尾瀬の木を使っていこうということになり、今では当社が管理を担当する尾瀬の木道の架け替え材として、計画的に人工林のカラマツを間伐するようになりました」。
“尾瀬×F
“尾瀬×FSC”で挑む今後の課題
尾瀬の気候によりねじれにくい特徴を持つことがわかり、切り捨て間伐から利用間伐への転換が期待される尾瀬のカラマツだが、現段階での主な用途は、東京電力が管理を担当する全長約20kmの木道への利用に限定されている。一年間に使用する木道補修のための材は、同社が所有する一部の林班の木を伐るだけでまかなえてしまい、そのほかの林班から出る間伐材をどのように活用していくかが今後の課題だという。
もともと水源涵養林の保全に特化した林業を行ってきたこともあり、積極的に営業をかけるようなセクションを持たない同社だが、桒原さんは「FSCというブランドと、尾瀬というブランド。これからはもっと積極的に使っていただけるところを探し、どんどん活用してもらいたいと考えています」と今後の展望を語る。
こうしたなか、尾瀬の地元の小学校の合併に伴う片品村小学校新校舎建設に際し、同社ではさっそくカラマツ材の活用方法を検討。COC認証の関係でFSC認証製品でこそないが、下駄箱と、廊下に併設するベンチスペースというかたちで尾瀬のカラマツ材を唯一の村内産材として活用することができた。年間の伐採から見ればわずかな量だが、間伐材活用の新たな道を歩み始めたと言っていいだろう。
取材中に訪れた鳩待峠からの木道で、FSCマークの焼印が押された木道を見かけた。日本国内ではまだまだ認知度の低いFSC認証だが、インターネット上の投稿サイトでは尾瀬を訪れたハイカーから「これは何のマークだろう?」といった投稿もあるという。「FSC認証を取得したことで、これまではあまり関心を寄せられてこなかった尾瀬周辺の森にも目が向けられ、そこから森のことを考えるきっかけにつながればいいですね」と、桒原さんは話していたが、日本の自然保護の象徴ともいえる尾瀬とFSCの相性は実に良い。かつてこの地から自然保護活動が広まったように、FSCもまた一般に広まっていくことだろう。FSCが日常にある世界。尾瀬の湿原に延びる木道の先に、そんな世界が広がっている気がした。
文:藤島斉
基本情報
認証の詳細については名称をクリックいただくとご覧になれます。
【名称】
東京電力ホールディングス株式会社
【所在地】
〒378-0411 群馬県利根郡片品村戸倉761(東京パワーテクノロジー株式会社 環境事業部 尾瀬林業事業所)
【主な樹種】
カラマツ、クロベ、ブナ、ミズナラ
【取扱製品】
原木
【問い合せ】
- 電話番号:03-6373-1111
- メールアドレス:kuwabara.yasuho@tepco.co.jp
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